僕の生まれはここ男鹿で小学校4年生ぐらい頃からファッションに興味があるませた子どもだったと思います。
小学生の時は、もらったお小遣いを毎月ちょっとずつ貯めて、
「半年後の何月何日に、汽車さ乗って"市内"さ行くべ。」と友人数人と1時間汽車に揺られて"秋田市内"行ったものです。
"市内さ行く"にピンと来た方は、男鹿の人?になるのかな。
それは良いとして、数ヶ月のお小遣いを貯めて秋田駅前にあるファッションビル、FORUS(今はOPA)に行くのが自分の唯一といって良いほどの楽しみでした。
それが功を奏してなのか、FORUSに通いたくて、秋田工業に入学するようなやつでしたね。
(中学の先生にはその学力じゃ秋田工業は絶対無理だって言われたものです笑)
でも、"駅前さ出で、おいはモデたい!"(秋田駅前にオシャレして出て行って僕はモテたいの意)という、超不純な思いの強さから猛勉強してなんとか入ることができました。
"不純極まると超ピュアに転ず"
僕の人生は常にこれからも笑
モテたいという一見不純な理由で服に関わってきたのが、気づいたら結局その不純(不純かどうかはさておき)な部分は削ぎ落とされて、今も好きな服に関わって生かされてるという笑
話を戻して、、
その当時(90年代)の、秋田駅前はドメスティックブランドを扱うお店やアントワープ系のブランドのセレクトショップなんかもあり、今の秋田駅前では考えられないような奇抜な格好した若者がうろうろしてたり、駅前にたむろしていました。
(きっとそれは僕達です汗)
大体いつも40人ぐらいで駅前に溜まってました。。なんか、すいませんでした。。
雑誌でいうところのFRUiTSや、zipper 、men's nonno 、BOON などなどのファッション雑誌業界も盛り上がっていたように思います。
当時は、超奇抜な格好する子達と、ノーウェアと言われるいわゆる裏原系で分かれていたと思う。(大きくはね)
その部分の面白い記事見つけたので、貼っておきます。
今見てもなんかこう胸がキューンとしますね(歳ですね)
僕らの仲間は、このスタイリッシュでカッコいいグループではなく、奇抜なグループでした。
写真のような人たちとたむろしておりました。
今見るとすごいですよね。。
でもなんかファッションがすごい楽しい時代を生きてたかもなぁとか今思ったりしてます。
この時代を経て、今があると思うとすんごい感慨深いです。
まぁ、今回のテーマは、
"好き"をエネルギーに、みんなハッピーにやりことやって生きていけたら素敵ですよね^ - ^
って話でした^ ^
それではまた。